時間が早い、戦略的に読む本を選ぶ
時間が過ぎていくのが早すぎる気がする。年越しばかりじゃん。もう二月て。
イベントがないと、カレンダーにマークがつかないから、認識しづらいのかもしれない。
マークだけをみて、日づけを感じるのは、盲目的か。
単調な毎日を記憶は畳み込んでしまう。
異質な思い出の連続がシーケンシャルな日付感覚となるのか。
過ぎていく日づけのいつかが自分の命日となる時が切ない。
読みたい本がたくさんあるが、月に3冊くらいしか読めない。
読書時間が取れないのと、読書速度が遅いのと、集中力がなくて、読み続けられない。
本気を出せば、読書時間は捻出できるはずだが、本気は出てこないので無理です。
速度は上げるほどに理解率が落ちていく。
そのような読書では作業感を感じ、楽しくないので、無理です。
となると、限られた時間の中では、読む本を選ばなければいけない。
いけないことはないのだけど、読書をなにかに還元、換金しようと思うと、戦略がいる。
自分は読書をして何を得たいのか。
正直、そんなこと考えたくない。読書そのものを目的としたい。
しかし、自傷的な人生を送っている身としては、読書からスキルや知識を身に着け、
柔軟性のある人生としたい。仕事や娯楽の自由度を高めるためには高度な社会性がいる。
本が読みたくて、読めない。読書能力がない。
読書に対して期待しすぎている。
社会性の低さを読書で補おうとしている義務感がこびりついている。
やりたいことってなんだっけ。何に興味があって、何をやりたくないんだろうか。
人をやりたくないんだよ。生まれ変わったらナマケモノで。
しょうもない。